武蔵国豊島郡江戸庄芝崎村の荒れ果てた首塚を時宗遊行僧の他阿真教上人が徳治2年1307懇ろに供養し平将門に蓮阿弥陀仏の法名を贈り塚に板碑を建立した。時宗芝崎道場と改宗した神田山日輪寺の小社に平将門を合祀して明神号を贈り小社は神田明神となったとも云われている。
平将門公は天慶3年940藤原秀郷らに討ち取られ首は京都に送られ晒された。身体は弟ら一族によりこの地に密かに葬られたと伝わっている。胴塚の傍らには東京・将門塚保存会より寄贈された南無阿弥陀仏の石塔婆が建立されている。神田山は「かどやま」と読む。
この地が平将門公の終焉の地と云われている。ご祭神は平将門命。平将門公の33回忌の天禄3年972に公の三女の如蔵尼が将門公の木像を彫り祠を建立し祀ったのが始まりと伝わる。
大手町・将門塚から坂東市・延命院までは車で90分ほど。延命院から国王神社までは車で10分ほど。国王神社の周辺には徒歩圏で平将門公所縁の「島広山営所跡」「延命寺山門」「石井の井戸跡」「一言神社」などもある。